「悪夢で目が覚めた」
悪夢で目が覚めた。
「――――――――っ…」
暗闇で目を見開いたまま、蛮はしばらく動けずにいた。
動悸が激しい。激しく息をついては、回りの静けさがすべて崩れ落ち、何もかもを無くしてしまいそうな気がして、呼吸すら満足にできない。
酷い悪夢だった。
しかし、あれは本当に夢だったのだろうか…?
震える手をようやく動かして、指を組むと、祈るように握りしめる。
まだ…平気なはずだ。まだあれは現実じゃない…縋る神をもたないことを何とも思ったことはなかったが、今だけは欲しかった。誰かに『大丈夫だ』と言ってほしい。
「ん……」
微かな声に隣を見ると、闇に慣れた目に人影らしき黒い塊が見える。
そっと手を伸ばして、毛布から出てしまっている腕や肩に触れる。布越しですらも温かい。落ち着けば、寝息の音もはっきり聞える。
「――――――ふぅ…」
安堵に大きく息をつく。やっとまともに呼吸ができる気がする。
と、隣の影がもぞりと動いた。
「ん…ばん…ちゃん……」
微かな声。目覚めてしまったかと思ったが、寝言のようだ。
「蛮ちゃ……オレの、トロ……っ」
「……………」
あまりにも銀次らしい寝言に、声を出さずに笑ってしまう。
「……銀次……」
呟いて、銀次の金色の髪に触れる。
起こす気はなかったのだが、ちょうど意識が浮上していた時だったのか、銀次が目を覚ました。
「……あれ……蛮ちゃん…?」
まだ半分眠っているような顔で、目をこすりながら起き上がる。
「…悪ぃ、起こしたか」
「どうしたの? 何か悪い夢でも見た…?」
「…ああ…まあ、そんなとこだ」
「そっか…」
めずらしく沈んだ声の蛮を元気づけようと、夢の内容など知らなかったが、銀次は笑って言い切った。
「大丈夫だよ、蛮ちゃん。ただの夢なんだから、全然大丈夫! 何にも悪いことなんか起きないよ」
「――――――――」
何も知りようもないのに。夢の内容も、蛮が欲しいと思った言葉も。
なのに、銀次が明るく言い切った言葉は、望みのままで。
胸からせり上がってきた泣きたいような衝動のままに、蛮は銀次に抱きついた。
「え…えぇっ!? ど、どうしたの、蛮ちゃん!?」
しがみついてくる蛮に驚いて、わたわたしてしまう。自分が蛮に抱きつくことはよくあっても(その後大抵殴られる)、蛮から抱きついてくることなど滅多にないのに。
ビチビチしている銀次を、離したくなくてさらに深く抱き込む。
「ば…蛮ちゃん…?」
「銀次…」
蛮の声は、詰まっても掠れてもいなかったが、銀次には泣いているかのように聞こえた。
縋り付くように抱きついてくる体温の低い細い肢体も、気のせいか震えているようで、銀次も強く抱き返した。
「……オレは」
しばらく抱き締めあった後、銀次の肩に顔を埋めたまま蛮は独り言のようにぽつりと呟いた。
「お前さえいれば生きていける……お前がいれば、他には何も誰も要らない……」
「蛮ちゃん…」
普段の蛮では、例え思っていても決して言うはずのない告白に、嬉しいよりも驚いてしまう。
そんなに恐ろしい夢を見たのかと、何とか安心させてあげたかったが、銀次には同じ言葉を返してやることはできなかった。
蛮のことはもちろん、大好きで一番大切だ。しかし、だからといって他の知り合いを見捨てたりすることはできない。どちらかを選べと言われても、選べないのが銀次だった。
しかし、この場限りの嘘をつくことも出来ない。と言うよりも、蛮に嘘をつきたくない。
なので、自分が言える精一杯を、頑張って言葉にする。
「蛮ちゃん、オレ、ずっと蛮ちゃんの側にいるから。蛮ちゃんがあっち行けって言っても、絶対離れないから。だって蛮ちゃんのこと、大好きだもん」
「銀次……」
蛮が顔を上げる。銀次の背後から差し込んだ月の光が、蛮の何色とも言えない魔性の瞳をきらめかせた。
「…やっぱり蛮ちゃんの目って、すっごく綺麗♪」
「ぁ…」
「だーめっ」
ついうっかり裸眼で見つめてしまったことに気づいて、目をそらして隠そうとした蛮の頬を両手で包んで、固定してしまう。
「今、目をそらしたりつぶったりしたら、オレ、キスしちゃうよ?」
「……」
だからつぶるなと言いたそうな銀次に、ふっと挑発的に笑うと、蛮はしてみろと言わんばかりに目を閉じた。
「…オレ、ちゃんと言ったからね、殴らないでね…」
蛮の挑発を軽く受け流すことなど銀次にできるはずがない。誘われるままに口付けた。
幾度か、触れるだけのキスをくり返す。快感と言うには微かすぎるそれは、まるで儀式のようで、一回ごとに悪夢でささくれた蛮の心を癒してくれるかのように、胸が温かくなった。
「蛮ちゃん……」
触れたせいかいつもより赤く見える唇にどきどきする。無防備に胸にもたれかかってくる姿も、ふと気づいてしまった蛮の微かな体臭も、銀次を煽り立てた。
「蛮ちゃん、えっと、その……」
「んだよ」
言葉はそっけないが、声は優しい。いい雰囲気なのに怒られるかな〜と思ったが、その優しさに押されるように言ってしまう。
「…ごめん、しても…いい?」
「……オメーなぁ…」
「ごめんっ、だって蛮ちゃんが挑発するから…っ」
「ちげーって」
蛮のあきれた声を誤解して慌てて謝る銀次に、苦笑する。
「こういう時は、聞くもんじゃねーだろ?」
「だって、蛮ちゃんが嫌だったら、無理強いしたくないし…」
「誰がおとなしく無理強いされんだよ、女子供じゃあんめーし。やられたくなきゃ、ぶん殴ってやめさせるまでのことだろーが」
大体聞かれたところで、頷けるわけもないのに。
銀次は蛮の言葉に、そういうもんかな…とちょっと考えて、神妙に頷いた。
「うん、わかった。じゃ、するよ?」
「だから聞かなくていいんだっつってんのに…」
全然わかってねぇじゃねーかと苦笑する蛮を押し倒して、白い首筋に口付けた。
「んっ……ぁ」
跳ね上がる肢体と、漏れる声がいとおしい。
自分の愛撫で蛮が身悶えるのを体中で感じ、吐息が徐々に艶を帯びて濡れてくるのを聞いているだけでも、心臓が壊れそうなくらいどきどきするというのに。
「ぎん…じ…っ…」
掠れた声が自分を呼んでくれて、手が自分を求めてしがみついてくる。
どうしようもなく、幸せで、気が遠くなりそうだ。
毎日毎日蛮のことだけを見て、蛮のことだけを考えて生きているのに、まだ足りないと言うように蛮は銀次を魅了し続ける。
選べないと思ったが、本当はもう選んでいるのかもしれない。蛮以外のすべてのものを捨てることを、望まれたらためらいもせずに出来るのかもしれない。
それでもこうなったことに後悔なんかしない。
「蛮ちゃん……大好き」
何度言っても足りることも飽きることもない言葉を、思いを込めてささやく。
もう何度言われたか憶えていられない程繰り返された言葉を、微かにくすぐったそうな笑みで受け止めて、返せない言葉の代わりに、蛮は銀次の頭を引き寄せて口付けた。
「あー……最悪」
翌朝、蛮は目覚めと同時に酷い自己嫌悪に陥っていた。
既に銀次は隣にいない。
「ったく、らしくねーことこの上ねー……」
つまらない夢を見たせいで、酷く自分らしくないことを言い、その上思い出したくないようなことまでしてしまった。
さっさと忘れてしまうに限ると煙草に火を点けた時、銀次が帰ってきた。
「あ、蛮ちゃん、おはよーっ♪」
不機嫌な蛮とは対照的に、銀次はいつも以上に明るく楽しそうだ。
「外はいい天気だよ。ご飯食べに行こ?」
「……オメーは馬鹿みてーに上機嫌だなぁ?」
銀次の上機嫌に余計に不機嫌を煽られて、それを隠そうともせずに蛮は低く言った。
それが藪をつつくことになろうとは。テンションが低い時には、その手の勘も働かなくなるらしい。
何もかもが気に入らないと言いたそうな蛮の声に、返ってきたのは銀次の超幸せそうな笑顔だった。
「えー? だってさ、ゆうべの蛮ちゃん、最高だったもん!」
と、一番聞きたくない話題が返ってくる。ヤベ、薮蛇だったと、固まった蛮に銀次の幸せそうな声が追い討ちをかけた。
「も〜、いつも以上にオレの名前呼んでくれてさー…オレ、銀次って名前でよかったなーって、ほんとに思ったよ。ちょっと離れようとしても、蛮ちゃんの腕が追っかけてきてくれてさ…力一杯しがみついてくれるんだもん、すっごい幸せだったー♪ おかげで体がかなり痛いけど…でもこれって幸せな痛みって奴だよねー。あとこれはいっつもだけど、蛮ちゃんのそういう時の声ってすっごく色っぽいから、オレ、止まんなくなりそうだったよー。抜く時まで、切ない声で喘いでくれるん…いってーっ!!」
幸せそうに言い募る銀次に、硬直が解けた蛮から手加減なしのげんこつが飛ぶ。
「朝っぱらから、大声で恥ずかしいこと言ってんじゃねぇ! メシ行くぞ」
うずくまる銀次にそう言い捨てると、いつもより早足ですたすたと行ってしまう。
「いたたた…あ、待ってよ、蛮ちゃん」
頭を押さえながら、早足の蛮に追いつこうと小走りで駆け寄る。すると蛮はさらに足を早めて、俯き加減でどんどん行ってしまう。
「? 蛮ちゃん?」
どうしたんだろ、と思いながら、ダッシュで追い越して、蛮の顔を覗き込む。
「どしたの?」
「――――っ」
真ん前に立たれて覗き込まれたせいで、足に急ブレーキをかけた拍子に顔が上がる。
その顔は、照れで赤く染まっていた。
「っ、蛮ちゃん、かわいー…って、わあぁっ!」
弾けるようにそう言った銀次に、渾身の力を込めた蛮の右手が振り下ろされる。
「…ちっ、外したか」
「外したかって、照れ隠しにスネークバイトかけることないじゃん! 危ないなぁ、もう…」
「うるせぇ! 朝飯抜きにすんぞ!」
「ひどいよ、蛮ちゃん。ゆうべ蛮ちゃんのために頑張ったから、腹減ってるのにーっ」
「…だ・か・ら、そう言うことを大声で言うんじゃねーと、何度言ったらオメーは憶えられるんだっ」
「いだだだだっ、いだいよ〜蛮ちゃぁん」
蛮にこめかみをぐりぐりやられながらも幸せそうな銀次と、いろいろ腹が立つことは多いのに、それでも銀次と一緒にいたい蛮。
そんな日常。
END
これが月海の初GBでした。
さて、二人がいるのはどこでしょう?って感じですね(笑
月光の入り方からして、スバルの中ではないでしょう。狭いしね(苦笑
しかし、蛮ちゃん、翌朝元気です…すたすた歩いてます…その上、スネークバイト…
慣れてるのかな…(滅
誰かさん(某Nさん(笑))に、仕込まれたからかな。
でもそれにしちゃ、インターバルが開いてるか…。
まあ、うちの銀次はそれなりにさせてもらってるから(苦笑
蛮ちゃんもうちはガード甘めだし。
20011018